アリスズc


 美しい歌声に惹かれて、桃は家の外に出た。

 トーが来ているのだ。

 夜空に向かって、彼は歌っていた。

 きっと、月に向かって歌っているのだ。

 この国では、月の話はタブーだ。

 桃は、太陽も月も愛する国から来た母の話を聞いて育ったので、まったくそんな感情はない。

 しかし、成長していくにつれ、町の人たちや門下生との交流で、この国の人たちはそうではないのだと分かっていった。

 かぐや姫の話とか、あればいいのに。

 母に聞いた昔話を思い出しながら、桃も月を見上げるのだった。

 歌がやんだ時。

 ふと、視線を空から戻すと、トーが近付いて来る。

「沈んでいるのか?」

 トーは、静かに問いかけてくる。

「かあさまが、私に刀をくれたの」

 菊という、伯母を見て育ったのだ。

 そんな彼女に剣術を習って、日本刀にあこがれるな、という方が無理な環境だった。

「でも…思ってたのとは、ちょっと違ったみたい」

 剣は、飾りではない。

 人が襲ってきたら、桃もこれを抜いて戦うし、勝つためには相手を傷つけなければならないのだ。

 それは、相手を殺すことにもつながるだろう。

 人を。

 殺したことなど、なかった。

 剣術を習いながらも、考えたこともなかった。

 初めて、この刀というものを、桃は恐れたのだ。

「キクは…」

 トーは、淡々とその名前を紡いだ。

 伯母の名に、桃は視線を引っ張られる。

「キクは…戦い方ではなく、戦うための心を教えているはずだ」

 疑いのない、声。

 トーが、伯母をどれほど信用しているのか、その一言で痛いほど分かった。

 桃は、彼にも周囲にも愛された。

 だが。

 これほどの信用に足る人間だと、思われたことはなかった。