アリスズc


「せっかく苦労して出てきたから…本当はやめたくなかったの」

 彼女は、『そこ』に座った。

 これまで、いつもそこが定位置であるかのように。

 リリューと出会う前も、出会った後も、きっとよくここに座っているのだろう。

 夜に外に出るのを嫌がる人が多いため、彼女の邪魔をする人間はいない。

「奥様から、あの御方のお声がけで、坊ちゃんが連れて行かれたって聞いて…きっと、あなたが何か言ってくれたんだろうと感謝してたわ」

 それは、買いかぶりだ。

 リリューは、何も言わなかった。

 皆が、夫人の後継ぎを心配して、自然に動いただけのこと。

 彼はと言えば、あの息子に殴られていただけだった。

「何も…言っていない」

 いま黙っていることは、彼女の言葉を肯定してしまうことだ。

 だから、リリューは白状した。

 夕日に頼むという発想も、全てハレが思いついたこと。

「いいえ…いいの。何だっていいの…あなた達が来て、私が少し幸せになった。それだけで十分なの」

 幸運の使者のように言われ、リリューはどうにも落ち着かない思いに浸される。

「またいらっしゃったと聞いて、夜にまたここに来れば会えるかな…って」

 だが。

 その考えは、自分と同じものだった。

 名も知らず。

 顔も知らず。

 ただ、夜に少しだけ話をしただけ。

 お互いの、たったひとつの共通点が、この場所だということ。

 そんな弱い糸を、二人ともたどって──いま、こうして再会したのだ。

「よかったら、少し都の話を聞かせてくれない? 私、都に行ったことがないから」

 それは、何気ない彼女の好奇心だったのだろう。

 だが、リリューの思考を固めるには十分だった。

 確かに、彼は都で育った。

 育ったのだが。

 人生のほとんどが、家と道場の往復で、華やかな都の顔とは無縁の生活だったのである。

 うまく語って、彼女を喜ばせることなど、出来そうになかった。