アリスズc


 イエンタラスー夫人。

 それが、桜の木の向こうにいる領主の名前。

「まあまあ、お待ちしておりました。よくぞ御無事で」

 旅の折り返し地点となる彼女の屋敷に、テルは招き入れられた。

 年老いてはいるが、夫人はとても上品だった。

 子供がいないため、10年ほど前に親戚から養子を取ったという。

 そろそろ、世代交代の時期なのだろう。

「母から、くれぐれも夫人によろしくと…」

 これまでの領主と違うのは、母がとてもお世話になった人だということ。

 あの桜の草原に降り立った母たち日本人を、彼女が一時的に庇護してくれたのだ。

「あの時は…太陽妃になられる御方だとは、思いもしませんでしたわ」

 複雑な笑みは、やむを得ないだろう。

 いまでさえ、母は規格外なのだ。

 あの当時、誰が母を見て太陽妃になると想像できようか。

「あの…それで…」

 夫人が、きょろきょろと誰かを探すような、落ち着かない素振りを見せる。

 テルの向こうにいるエンチェルクを見た後、首を傾げるばかり。

「ウメの娘を、探しているのではありませんか?」

 ヤイクが、そっとテルに耳打ちした。

 ああ。

 そういえば、夫人はウメと深い親交があったのか。

 飛脚で既に、娘が行くと伝えられているのだろう。

「モモなら、兄の一行です。私より後に出発しましたので、そのうち到着するでしょう」

 言うと、夫人はがっかりしたようだった。

 挨拶が終わり、使用人たちによって部屋に案内されるテルから遅れる者が一人。

 エンチェルクだ。

 彼女は、夫人の前に深々と挨拶をしている。

「お久しゅうございます。以前、テイタッドレック卿の御屋敷より、しばらくこちらにお世話になっておりました」

 昔雇っていた使用人のことなど、領主が覚えていなくても当たり前だろう。

 だが。

「ああ、ああ…あなたは、ウメの。ウメの側仕えね!」

 ウメという人間が、どれほど夫人にとって大きかったのか──彼女は使用人だったにも関わらず、深い歓迎を受けているようだった。