「三郎太は、普通に育っているんだなぁ」

ぽつりと呟いた与一に、三郎太が怪訝な顔をする。

「俺は、今まで特定の誰かを特別に想ったことはない。お三津もお梅も、ただそこにいて、世話をしてくれた、優しい女子(おなご)というだけだ」

年上の女性への憧れというなら、出会ったときの藍こそ、その対象になるはずではないのか。
今でこそ自分のほうが年上に見えるが、当時は少なくとも、与一のほうが随分年下だった。

今でも、あれほど美しい藍と一緒にいて、何の感情も湧かないのは、やはり自分は普通と違うのではないか。

俯いた与一の肩を、ぽんと叩き、三郎太は障子を開けて、廊下に出ながら明るく言った。

「お前は自分で思ってるより、初心(うぶ)いだけだよ。昔っから周りに女がいたから、麻痺しちまってるんだろ。何、大丈夫だって。まだ若いんだし、これからだ。今お三津に会ったら、お前が惚れるかもしれないぜ。お三津はあの頃から、なかなかの別嬪だったしな」

ぽんぽんと肩を叩きながら、廊下を歩く三郎太の横顔を眺め、少し笑いながら、与一は藍の言葉を思い出していた。

『よいっちゃんには、感情ってものが、あんまりなかったもの』

---さすが藍さん。あの一瞬で、俺の心の欠陥を見抜いていたのか---

三郎太に見送られて千秋屋を出た与一は、ふぅ、と息をつき、西の市に向かった。