結局、御陵衛士側の死者は二人に留まり四人が逃げ去った。 肝心の藤堂は斎藤と同じ「諜報目的の脱隊だった」とされたため比較的容易に復帰することができた。 しかし同月。 坂本龍馬暗殺事件、通称近江屋事件の疑いが新選組にかかる。 さらに翌月には御陵衛士の残党が沖田、のち帰路につく途中の近藤を襲撃。 幸いにも沖田は無事だったが、近藤は右肩を撃たれ重傷を負った。 そしてついに、翌年一月。 後に戊辰戦争の発端となった、鳥羽・伏見の戦いが起こる──。