剣と日輪

 の二編を川端に謹呈したのだ。それは師弟の契りの儀式であった。
 川端は両編を、
「人間」
 編集長木村徳三に、
「是非、両方或は一編でも人間に載せたい」
 と推輓した。
 木村は川端の推挙ということで、二作をじっくりと賞味した。彼は、
「煙草は完成度が高く、掲載に値する」
 と了承できたが、
「中世は、作為的であり過ぎる」
 と思議した。
 川端にそう直言すると、
「では、煙草を載せてやってくれ」
 との即答である。
「では、そうしましょう」
 木村の二つ返事で、公威の戦後デビューは決裁した。川端は、
「三島君に、君に会う様言っとくよ」
 と付加した。
「そうですね。何時でも待ってます、と伝えてください」
 木村は当年三十五歳で、
(そろそろ、戦前の作家の復活ばかりではなく、戦後の新世代の作家の、発掘をせねばならない時期に来ている)
 と気鋭の編集長として、日頃より痛感している。
(ひょっとして、三島由紀夫が人間の救世主になるかもしれない。戦前の大家に頼ってばかりいる今の出版界に、一石を投じるやもしれない)