剣と日輪

 古賀は苦楚(くそ)に絶倒している公威の横で、大股を開いた。関の孫六をしっかりと握り締め、すぱっと刃を煌(きらめ)かせた。
 公威の頭部は、首の皮一枚を残している。小賀は公威の掌中にあった鎧通しを丁寧に外し、それで首の皮を切り離し、そっと置いた。公威のデスマスクは、超越の美色に彩(いろど)られていた。
 必勝は公威の遺体側面に、腰を据えた。生涯を捧げた楯の会のユニフォームを脱し、上半身を肌蹴(はだけ)た。小賀から師の鮮血に塗れた短刀を受け取り、
「浩ちゃん、頼む」
 と介錯人を指名した。予てより小川、小賀と介錯の約を取り交わしていたが、両名は何時踏み込んでくるか分からぬ機動隊や自衛隊から神聖な死に場所を固守する役割を担っていたので、遠慮したのだった。古賀は再び関の孫六に、烈士の血を吸わせねばならない。
 必勝の割腹を、公威の御首が見守っている。
(追腹仕ります)
 必勝は臍(へそ)の左七センチの腹部に、緩めに刃を突っ込んだ。そこから右へ五センチ引っ掻いた。
 必勝の切腹は、江戸期の武士のやり方だった。江戸武士は程程に腹を召す。飽くまでも首斬りによって事切れるのであり、介錯人が首を切りやすいように不動であることに主眼が置かれていた。扇で腹切りの真似をして首を落としてもらっても、別に恥ではなかった。
 これに反し公威は平安末期の源為朝から戦国時代までの、介錯人無しの文字通り腹を切り刻む方法と江戸期の介錯人有りの方法を混合させた切腹を、昭和元禄の世に再現してみせたのである。
「まだだ」
 必勝は切腹を十分味わいたかった。それだけの余裕があったのだ。
「止めを刺すんじゃない!」
 益田総監の絶叫が、狂おしかった。
「よし!」
 必勝の合図を機に、古賀は二度目の介錯を成し遂げた。必勝の若々しいヘッドは、すんなりと落ちた。