野田は数日後、
「エスガイの狩」
「サーカス」
 を読み切った。
「中世」
 に比べ、両作品共平明(へいめい)達意(たつい)の色合が深まり、文章力の進歩が明瞭だった。 野田は、
(文体が独り善がりでもなく、堅苦しさも半減している。これならば)
 と出版会議に諮(はか)ってみる気になった。

 死線の谷間に棒立ちし、茫洋と三途の川を見遣っている内向的な公威には、怖いものはなかった。公威は野田から、
「両編を掲載すべきかどうか審議中」
 との内報を受け、直、
「川端康成先生の批評を乞い、掲載の是非を問おう、と思う。川端先生に花ざかりの森を送りたいので、一冊都合して欲しい」
 と要請された。野田としては、
「志賀先生の悪評だけでは、三島の才質を断じられない」
 と覚ったのである。
 公威の小説は読み手によって賛否が鮮明に浮出る、という特徴がある。蓮田や清水から、
「日本文学の正統なる継承者、申し子」
 と賛称(さんしょう)される一方、伊東や志賀からはけなされる。中間の評語が無かった。
 公威は元来他人の言質(げんち)等気に留めないが、出版社の要望ならば致し方ない。当時、
「新感覚派の旗手」
 と持て囃され、
「伊豆の踊子」