剣と日輪

(公威を守れるのは私しかいない)
 母として倭文重は、そのように噛締めていた。
 
 公威は八月二十四日に、新潮社の新田出版部長と会い、
「豊饒の海第四部天人五衰」
 の最終章のコピーを託した。
「これが作家としての、大団円だ。保管を頼みます」
 と拝む公威に新田は、
「丸で遺書の手渡しみたいだ」
 とコピーを手に取った。公威としてはその気脈で接したのであるが、新田としては、それを認得(にんとく)する訳にはいかなかったのだ。
「頼む」
 とだけ公威は言い残した。新田は引き受けるしかなかった。疑問の余韻に浸りながら。
 公威は文学への、
「さよなら」
 を済ませるや、
「決起」
 に向けて急進し出した。
 八月二十五日火曜日の、
「楯の会定例会議」
 終了後、公威は第二班班長倉持清を呼び止め、楯の会事務所応接室で、今後の方策を明かした。
 公威は、
「来月から三ヶ月間、定例会の準備は自ら行う」