「三島文学」
の世界文壇への案内人は、公威の変(へん)兆(ちょう)に対処できなかった。
「下田の一夜」
はキーンにとって痛恨の、
「夏の夜の夢」
となったのである。
公威は下田より帰京した後、疲憊(ひはい)しきっていた。倭文重が或る日暮れ時、
「一体どうしたの?夏が大好きな御前にしては、酷く疲れてるように見えるけど。夏バテ?」
と声をかけると、公威は否認しなかった。
「何だかとても疲れてしまった。下田行きは今年限りにします。来年からは僕は東京に残って、のんべんだらりと過ごしてみたい」
倭文重は、
「それがいいわ。家族サービスも大事だけど、体を壊しちゃ本末転倒よ」
「はい」
「最近は働き盛りの男性が、突然死したりするからね。自愛して」
「有り難う」
倭文重にとって跡取りの変調は、気懸かりでならない。
(瑤子さんは、公威の不調に気付かないのかしら。申し分の無い嫁ではあるが、二人の子供にかまける余り、肝心の主人の事をほったらかしにしている)
倭文重は憂慮せずにおれない。併し指摘はする気は無い。嫁姑問題は表面化していないが、心の葛藤は幾度と無く繰返されてきた。今更波風立てたくはなかった。
(私が気をつけてやらねば)
倭文重はそう肚(はら)を据えた。老後を送る倭文重にとって、公威は命にも代えがたい至宝である。姑にも夫にも肝を焼き、一人娘の横死という惨劇にも見舞われたが、辛抱してこれたのは公威がいたからだ。
の世界文壇への案内人は、公威の変(へん)兆(ちょう)に対処できなかった。
「下田の一夜」
はキーンにとって痛恨の、
「夏の夜の夢」
となったのである。
公威は下田より帰京した後、疲憊(ひはい)しきっていた。倭文重が或る日暮れ時、
「一体どうしたの?夏が大好きな御前にしては、酷く疲れてるように見えるけど。夏バテ?」
と声をかけると、公威は否認しなかった。
「何だかとても疲れてしまった。下田行きは今年限りにします。来年からは僕は東京に残って、のんべんだらりと過ごしてみたい」
倭文重は、
「それがいいわ。家族サービスも大事だけど、体を壊しちゃ本末転倒よ」
「はい」
「最近は働き盛りの男性が、突然死したりするからね。自愛して」
「有り難う」
倭文重にとって跡取りの変調は、気懸かりでならない。
(瑤子さんは、公威の不調に気付かないのかしら。申し分の無い嫁ではあるが、二人の子供にかまける余り、肝心の主人の事をほったらかしにしている)
倭文重は憂慮せずにおれない。併し指摘はする気は無い。嫁姑問題は表面化していないが、心の葛藤は幾度と無く繰返されてきた。今更波風立てたくはなかった。
(私が気をつけてやらねば)
倭文重はそう肚(はら)を据えた。老後を送る倭文重にとって、公威は命にも代えがたい至宝である。姑にも夫にも肝を焼き、一人娘の横死という惨劇にも見舞われたが、辛抱してこれたのは公威がいたからだ。


