と幻滅せずにおれない。
 
 公威は一月末に、自邸に韓国の李将軍と山本一佐を夕食に招待して引き合わせたことがある。九時頃に瑤子夫人が李将軍を車で送った直後、公威は応接間で山本一佐と対座したまま、
「やりましょうか!」
 といきり立ったのだった。公威は薄い唇をへの字に引き締め、督迫(とくはく)していた。同意しか受け付けない、といった形相である。
 山本一佐には、公威の意向が読める。
「私を斬り殺してから、やってください」
 と睨み返した。
「いいんですね」
「構わん」
 火花が散るような問答だった。公威が立ち上がろうとした刹那、メイドがやって来て事無きを得たのだった。
 公威は山本一佐の、
「やるなら私を殺してから」
 という直言を忘れなかった。三月末山本一佐宅の玄関に現れた公威は、紋付袴で錦袋に包まれた愛刀、
「関の孫六」
 を携えていたのである。
 山本一佐は剣を認めるや、背筋に寒気を覚えた。
(斬りに来たな)
 刺客と薄々感付きながら家へ入れてしまう暗殺被害者の心理が、山本一佐には痛い程分かった。
(坂本竜馬も、こんな気持ちで刺客を招きいれたのか)
 坂本竜馬は近江屋の仮寓で不意を衝かれて額を斬り込まれたが、
(まさか三島がそんな事をする筈は無い)