綴っている。
「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろい出し、不名誉でメチャクチャにしてしまうように思われるのです。生きている自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑われるのは耐えられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら頼りにさせていただいております。又一方、すべてが徒労に終り、あらゆる汗の努力は泡沫(ほうまつ)に帰し、けだるい倦怠(けんたい)の裡(うち)にすべてが納まってしまうことも十分考えられ、常識的判断では、その可能性のほうがずっと多い(もしかすると九十パーセント!)のに、小生はどうしてもその事実に目をむけるのがイヤなのです。ですからワガママから来た現実逃避だと云われても仕方のない面もありますが、現実家のメガネをかけた肥った顔というのは、私のこの世で一番きらいな顔です」
(川端康成・三島由紀夫著川端康成・三島由紀夫往復書簡新潮社刊より)
一九七〇年は、大阪万国博覧会の年だった。三波春夫の軽妙な、
「世界の国からこんにちは」
というテーマソングが街角やメディアから流れ、浮かれ気分、昭和元禄真盛りといった世相である。
戦争は放棄さえすればよく、軍隊等不必要、経済さえ高度成長ならばそれでよし。修身も天皇も糞食らえ。ヒッピー達はその日その日をエンジョイし、ラヴアンドピースこそ全てさ、という妄念にとりつかれた若者達が、世界中から来日した異邦人達を歓迎し、人類は皆兄弟だと御目出度い気分を謳歌(おうか)していた。
その異常な時代の片隅で、公威は焦っていた。肝心の自衛隊に全く国家改造の意志がないのだ。変革の核である自衛隊自体が、国防軍への発展を企図していないのである。楯の会の、
「憲法改正。自衛隊を国軍へ」
という主張に反対である訳が無いのに、その主張すらせず政府の飼犬、延いては米軍の下請けである現勢に従順なのだ。
公威は、
「何て情けない奴等だ。これでは左翼と一緒じゃないか」
「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろい出し、不名誉でメチャクチャにしてしまうように思われるのです。生きている自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑われるのは耐えられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら頼りにさせていただいております。又一方、すべてが徒労に終り、あらゆる汗の努力は泡沫(ほうまつ)に帰し、けだるい倦怠(けんたい)の裡(うち)にすべてが納まってしまうことも十分考えられ、常識的判断では、その可能性のほうがずっと多い(もしかすると九十パーセント!)のに、小生はどうしてもその事実に目をむけるのがイヤなのです。ですからワガママから来た現実逃避だと云われても仕方のない面もありますが、現実家のメガネをかけた肥った顔というのは、私のこの世で一番きらいな顔です」
(川端康成・三島由紀夫著川端康成・三島由紀夫往復書簡新潮社刊より)
一九七〇年は、大阪万国博覧会の年だった。三波春夫の軽妙な、
「世界の国からこんにちは」
というテーマソングが街角やメディアから流れ、浮かれ気分、昭和元禄真盛りといった世相である。
戦争は放棄さえすればよく、軍隊等不必要、経済さえ高度成長ならばそれでよし。修身も天皇も糞食らえ。ヒッピー達はその日その日をエンジョイし、ラヴアンドピースこそ全てさ、という妄念にとりつかれた若者達が、世界中から来日した異邦人達を歓迎し、人類は皆兄弟だと御目出度い気分を謳歌(おうか)していた。
その異常な時代の片隅で、公威は焦っていた。肝心の自衛隊に全く国家改造の意志がないのだ。変革の核である自衛隊自体が、国防軍への発展を企図していないのである。楯の会の、
「憲法改正。自衛隊を国軍へ」
という主張に反対である訳が無いのに、その主張すらせず政府の飼犬、延いては米軍の下請けである現勢に従順なのだ。
公威は、
「何て情けない奴等だ。これでは左翼と一緒じゃないか」


