剣と日輪

 だからこそ、
「右翼」
 のみが日本の未来だ、と必勝は信従せざるを得ないのである。特に共産主義、無政府主義者にコントロールされているマスコミは、
「右翼」
 を騙る暴力団を、
「右翼」
 と肯定し、本来の右翼である民族主義者の方を、
「理論派右翼」
 と呼称して、少数派であるかのごとき偏見を持って、一向に改めようとはしない。そもそも右翼だの左翼だのという政治用語には、何等肯定的意味は無い。共産党は革新と称するが、その主義主張は保守的で、保守政党と呼ばれる自民党の方が革新的であるケースが多々あるのだ。
(世の中って全くいい加減さ)
 ニヒルなボブ・ディランみたく必勝はそうシニカルに結論を下した。
(こんな世の中を正す事が、ほんとに出来るのだろうか。楯の会隊員が命を賭して改革を訴えても、世人には物笑いの種にしかならないのではないか。俺も三島先生も、狂人か馬鹿扱いされて終るのではないか)
 必勝はそれでもいい、と肚を据えている。ただ家族に誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)が及ぶのだけは、切なかった。
 必勝の不安を、公威も持っていた。公威は昭和四十四年八月四日付けの川端康成宛の手紙の中で、こう心境を