宮崎正弘は、必勝が公威宛の速達を書き記していた部屋にいた。そして文面を覗き見て、当惑せずにおれなかった。
(簡単に死にますなんて書くか。こいつは馬鹿かあんぽんたんか)
 宮崎が更に喫驚(きっきょう)したのは、必勝が、
「三島さんは俺にこう言った。あの一言には脱帽した。参ったってね」
 と誇らしげに知らせた時だった。宮崎は強力な繋がりを持ったらしい公威と必勝に、ついていけない壁を垣間見た。それは雲の上に屹立(きつりつ)する、白銀を湛(たた)えた霊峰富士の如く、越え難い分厚いものだった。

 四月になり早稲田大学の三年生となった必勝は、早大国防部の代表に、山本之聞と共に選出された。早稲田を皮切りに全国の大学には、国防部が誕生していきつつある。共産主義・無政府主義に染まって行く大学生の中に起きた、
「憂国」
 の波紋は、じわりじわりと拡大してゆきつつあった。
「全国大学国防部連合」
 結成の気運は高揚し、六月十五日に旗揚げする手順となったのである。
 必勝は早大国防部の新しい顔として、先ずゴールデンウイーク中に開催を予定されている、
「日本学生同盟セミナー全国合宿研修会・文化フォーラム」
 の準備にかかった。
 五月三日から五日まで八王子郊外大学セミナーハウスで挙行されたこのフォーラムは、講師に作家の公威、林房雄、村松剛を迎え、北海道から九州に及ぶ七十名の学生を集めて盛大となった。
 新緑の若葉に囲まれた環境抜群の通称、
「学生文化フォーラム」