伊東は、
「花ざかりの森」
 を読破したが、個人的には余り好ましいとは思念できなかった。文章が不自然に背伸びしており、面白みのない文体が気に召さなかったのである。蓮田も軍役に従事していなくなり、遠慮する必要もなくなっていた。
 公威は伊東の心意を、見抜こうとしなかった。徴兵検査を志方で受検するのを幸いに、往路の五月十七日と復路の五月二十二日に、大阪の住吉中学校に伊東を訪ねた。十七日の訪求時には富士が同行してくれ、三人で大阪阿倍野の富士の家宅に移動し、夕餉を食している。富士は三十二歳で参軍前の休日を、公威に割いてくれたのである。
 富士は伊東が、
「花ざかりの森」
 を高く買っていないと薄々明察していたが、その曇った眼識を晴らそうとしていた。
 富士は蓮田の意気に感じ、公威に会遇して、公威の才幹(さいかん)を是認していた。
(伊東先生も本人を見れば、本物か否か見極められる筈だ)
 という思惑に駆られたのである。富士は晩餐の席では、
「僕は支那に出征します」
 位しか語らず、伊東と公威の世話を女房に任せて、
「花ざかりの森」
 の単行本表紙の装幀図案にかかりきりになっていた。鋏(はさみ)を極太の指先に嵌め込み、鉄棒みたいな腕で図案が写してある千代紙を器用な手捌(さば)きで切って、熟視している。その後姿はじゃれている熊そっくりで、何とも滑稽である。
 公威は富士の無言の援護に応え、
(序文の再依頼をしよう)
 と喉元まで言霊(ことだま)が出掛かっていたが、シャイな性分が災いして、辺り障りの無い伊東の話題に追従するのみであった。到頭頭を下げられずに富士の家宅を辞し、午後十時半に南海電鉄の北畠駅迄伊東に送られ、ホテルに帰宿した。