「間違いない。一寸変わった人だが、百年に一人の傑物だと俺は思う。三島さんなら、俺達にきっと価値ある死に場所を与えてくれるだろう」
(持丸先輩も、或いは騙されているのかもしれんぞ。こうなったら、自分の目で三島由紀夫の人物を確かめよう)
 持丸を信任していない訳ではない。三島の民兵となって激闘するからには、一身を捧げられるか否か、一片の曇りでも有れば不可能なのである。三島の認(にん)真(しん)に幾時間費やしても、決して狐疑(こぎ)深いのではなく、それだけ真諦(しんたい)を求道(きゅうどう)している証(あかし)なのだった。
 銀座八丁目に喫茶店舗を構えていた、
「ビクトリア」
 に公威、早大国防部代表者、それに立会人として漫才師から俳優に転じた公威の友生(ゆうせい)南道郎が同席したのは、六月十九日月曜だった。
 議題はやがて、
「国土防衛隊」
 として共産主義者、無政府主義者のバイオレンスに立向かう、早大国防部の鄙鳥(ひなどり)共を特訓してくれる受入れ先について、である。
 公威は事前に持丸より、
「早大国防部が自衛隊に体験入隊したがっている」
 と聞き及んでいた。公威は四月十二日から五月二十七日迄、久留米陸上自衛隊幹部候補生学校、富士学校滝ヶ原分とん地普通科新隊員教育隊、習志野第一空挺団基本降下課程、第七師団東千歳駐とん地で体験入隊していた。入営即日帰郷となったたった半日の軍隊ライフから、二十二年の年月が過ぎていた。短期間であったが公威は二十一歳の春秋にリターンし、あの時知りえなかった、