と俗に言われるが、幼少の砌(みぎり)梓から受けた、
「文学弾圧」
の怨恨(えんこん)が、公威には沁(し)み付いていたらしい。
倭文重は手術を五月一日に、施(ほどこ)された。解答は、悪性(あくせい)腫瘍(しゅよう)ではなかった。公威は感涙(かんるい)に咽(むせ)び、小春日和を肌で感じた。夏がそこまで来ていた。
湯浅あつ子という、日系二世エンジニアの妻が居る。彼女は海軍の将軍が住んでいた五百坪の大邸宅に住し、芸能、文化人達と幅広く交友していた。あつ子をシャフトとして芸能サロンが形成されていたのである。
今を時めくアメリカのエリート技師の奥様であり、ざっくばらんで面倒見のいいあつ子は、取巻きの一人である公威から、
「三十路(みそじ)を過ぎてやっと結婚相手を探している」
と聴聞(ちょうもん)するや、三月二十三日日曜に見合い写真を携(たずさ)えて、平岡宅を訪れた。
公威は無碍(むげ)に断ると暴れ出しかねないあつ子に勧奨(かんしょう)されるまま、一枚のポートレートに目を通した。振袖(ふりそで)姿(すがた)のお嬢さんは丸顔で、艶(あで)やかな髪筋(かみすじ)と清純そうな眼睛(がんせい)に、公威は、
(この人だ)
と感応(かんのう)してしまっている。
「どう?公ちゃん。見合いしてみる?」
有無を言わせぬ迫力に、公威は惹(ひ)きつけられた。
「私の娘が、公ちゃんと同じ学習院初等科にいるでしょう。娘のクラスメートに、日本画家杉山寧(やすし)さんの奥様の妹である小松さんの御子息がいらっしゃるのよ。小松さんと私親しくしてもらっててね。彼女から杉山画伯(がはく)の令嬢が、日本女子大の二年生だって聞いたのよ。私貴方が結婚相手探してるってこの前言ってたから、是非にって気になって、小松さんを通じてこの写真手に入れたの。先方は、三島由紀夫って聞いて乗り気になってるってよ。どう?」
「文学弾圧」
の怨恨(えんこん)が、公威には沁(し)み付いていたらしい。
倭文重は手術を五月一日に、施(ほどこ)された。解答は、悪性(あくせい)腫瘍(しゅよう)ではなかった。公威は感涙(かんるい)に咽(むせ)び、小春日和を肌で感じた。夏がそこまで来ていた。
湯浅あつ子という、日系二世エンジニアの妻が居る。彼女は海軍の将軍が住んでいた五百坪の大邸宅に住し、芸能、文化人達と幅広く交友していた。あつ子をシャフトとして芸能サロンが形成されていたのである。
今を時めくアメリカのエリート技師の奥様であり、ざっくばらんで面倒見のいいあつ子は、取巻きの一人である公威から、
「三十路(みそじ)を過ぎてやっと結婚相手を探している」
と聴聞(ちょうもん)するや、三月二十三日日曜に見合い写真を携(たずさ)えて、平岡宅を訪れた。
公威は無碍(むげ)に断ると暴れ出しかねないあつ子に勧奨(かんしょう)されるまま、一枚のポートレートに目を通した。振袖(ふりそで)姿(すがた)のお嬢さんは丸顔で、艶(あで)やかな髪筋(かみすじ)と清純そうな眼睛(がんせい)に、公威は、
(この人だ)
と感応(かんのう)してしまっている。
「どう?公ちゃん。見合いしてみる?」
有無を言わせぬ迫力に、公威は惹(ひ)きつけられた。
「私の娘が、公ちゃんと同じ学習院初等科にいるでしょう。娘のクラスメートに、日本画家杉山寧(やすし)さんの奥様の妹である小松さんの御子息がいらっしゃるのよ。小松さんと私親しくしてもらっててね。彼女から杉山画伯(がはく)の令嬢が、日本女子大の二年生だって聞いたのよ。私貴方が結婚相手探してるってこの前言ってたから、是非にって気になって、小松さんを通じてこの写真手に入れたの。先方は、三島由紀夫って聞いて乗り気になってるってよ。どう?」


