公威はニューヨークに見切りを付け、年末に離米した。スペイン、イタリアを経て帰国したのは昭和三十三年一月十日だった。
この頃家族には、小さな不幸が重なっていた。梓は昨年十一月より東大病院に入院していたが、倭文重も二月に梓と入れ代わりに、
「喉頭(こうとう)癌(がん)」
の疑いで東大病院において、病臥(びょうが)してしまったのである。
平岡家は偏屈(へんくつ)な老人梓と、昼夜逆転の公威という二匹の棲家(すみか)と化した。公威は梓が嫌いだった。
「お母様の居ない家に居たってしょうがない」
と言い残して、山の上ホテルに連泊(れんぱく)し始めたのである。
「三つ子の魂百までも」
この頃家族には、小さな不幸が重なっていた。梓は昨年十一月より東大病院に入院していたが、倭文重も二月に梓と入れ代わりに、
「喉頭(こうとう)癌(がん)」
の疑いで東大病院において、病臥(びょうが)してしまったのである。
平岡家は偏屈(へんくつ)な老人梓と、昼夜逆転の公威という二匹の棲家(すみか)と化した。公威は梓が嫌いだった。
「お母様の居ない家に居たってしょうがない」
と言い残して、山の上ホテルに連泊(れんぱく)し始めたのである。
「三つ子の魂百までも」


