剣と日輪

 長身の好男児石原は、公威と馬が合った。公威は遠慮(えんりょ)会釈(えしゃく)の無い、
「時代の寵児(ちょうじ)」
 の大物ぶりを是認(ぜにん)し、内密(ないみつ)に羨(うらや)んでいた。
「体格では見劣りするが、体力は君以上なのだ」
 という所を石原に見せつけてやろうと、小島と第二回目のスパーリングを、昭和三十二年五月に日大拳闘部の合宿所内のリング上で敢行(かんこう)した際、招待(しょうたい)したのである。
 石原は、
「三島さんの勇姿(ゆうし)を、是非見学したい」
 と乗り気になり、当日日大に現れた。公威はトランク姿で石原に映写機を渡し、
「スパーリングを、十六ミリに録ってほしい」
 と一週間前に口約束した通り、願い上げた。公威の羨望(せんぼう)とも競争心ともつかぬ自分への心機(しんき)を推知(すいち)していた石原は、
「喜んで」
 と映写機を、手馴れた手つきで操作して見せた。
「オーケー。コーチ、始めませんか」
 公威はヘッドギアとグローブをはめ、ロープを潜(くぐ)った。
 小島もゆるりとリングに立つ。
 石原はレンズ越しに、公威を写照(しゃしょう)した。強張(こわば)った頬(ほお)肉(にく)が、公威の負けを表象(ひょうしょう)している。
(何でこの人は、こんな無理をするのだろう)
 三十過ぎのど素人が習い始めて数ヶ月で、ベテランのボクサーとまともに打ち合える訳がない。
(きっとこてんぱんにやられるぞ。そんな惨(ざん)敗(ぱい)の姿を残そうなんて)
「男の美学」
 を標榜(ひょうぼう)する石原には、理解不能である。