ホタル




……………

降りそうな気がした。でも家に着くまでに空は泣かなかった。灰色の雲が今にも地上に降りてきそう。

「ただいま…」

小さく呟いて玄関を開けたが、そこにはしんと静まり返った廊下があるだけ。視線を動かしたが誰かいる様子はない。

スリッパを履きキッチンに向かったが、そこもものの脱け殻だ。電気すらついていない。天気が悪いからか部屋は薄暗い空気に包まれていた。

テーブルの上にある置き手紙に気付き手にとる。そこにはまさみさんの丁寧な字で『奥様の御迎えに行って参ります。夕食は冷蔵庫に用意してあります。裕太さんの好きな鯖の味噌煮も鍋にあります。まさみ』。

「まさみさん何だって?」

突然背中に声をかけられて、あたしは言葉通り心臓が止まるかと思った。

振り向くと、キッチンの入り口に裕太がいた。
軽くドアに肩をもたれかけさせて、あの小さな笑顔で。

「…裕太」

自分でもびっくりするくらいかすれた声で呟くと、裕太はいつもの調子で近付いてきて「…鯖の味噌煮ね」とのぞきこみながら呟いた。
あまりにも裕太の顔が近くて、止まっていたあたしの神経が突然動き出す。