その夜与次郎は妻のとめ、娘のおけい、娘婿の与吉を居間に集めた。そして、
「今日でわしと御前達は他人となる」
 と宣言した。とめとおけいは驚倒したが、与次郎が、
「治部少輔様の為だ」
 と三成を匿(かくま)う秘計を吐露したので、とめとおけいは漸く納得した。与吉は、
「村人の命に関る事故、皆と諮ったほうがええのでは」
 と主張した。与次郎は、
「村人の命は治部少輔様から戴いた様なもの。恩を仇で返すことはできぬ。事は秘密裏に素早く運ばねばならん」
 と突っぱねた。与吉は隣の持寺村から婿入りしたばかりで、戸主である与次郎にそれ以上反駁できなかった。
 おけいは、
「親子の縁を切るのは嫌や」
 とさめざめと落涙した。とめは持寺村の実家俵家に、一先ず身を寄せる決意をしている。俵家も庄屋の家柄で、与吉も庄屋の三男坊である。
「俵に暫し戻る。会いたい時は何時でも会える。父(とと)様(さま)は私達の身を案じて決心したんや。命の恩人治部少輔様の一大事なの。私情は捨てなさい」
 とめは孝行心の厚い愛娘を、諭した。スリムで控え目なとめは芯が太かった。与次郎はとめを惚れ直した。与吉ととめとおけいは、明日中に出て行く手順になり更に、
「治部少輔様のことを口外しません」
 と与次郎に確約した誓紙に血判したのだった。
(これでよし)
 辻家は午後七時に就寝した。明日は家族の身支度と、三成の隠れ処(が)の準備に追われよう。
(命にかえても、治部少輔様の身は守る)
 与次郎の気概は衣川で源義経に殉じ立往生を遂げた、武蔵坊弁慶の忠心に適(かな)うものであったろう。
 九月二十日。与次郎は家族の荷造りを手伝って送り出した。四人は再会を約し、離別したのである。与次郎は寝藁や寝間着や蝋燭といった生活必需品を、持ち山の洞穴に運んだ。この窟(くつ)は家から徒歩十分の距離にある。奥深く冬暖かく夏涼しい。与次郎が入山する際休憩所として使用している。