唇が触れた瞬間、先生の動きが止まる。


自分から先生にキスをする日が来るなんて思ってもみなかった。


唇を離したあと、今度は先生の頬にキスした。


何度か頬にキスしてから、背伸びするのをやめて、次はしわくちゃのくたびれたシャツの胸元にキスをする。


先生の表情を見るのが怖かったから、私の視線はずっと下を向いていた。


下手なキスを終えた私は、うつむいたまま先生に言った。


「私、ちゃんと分かってます。先生とはもう付き合えないって。もう私だけの先生じゃないって」


視界の中に映る、先生の足元がぼやけて見える。


キスしている間には引っ込んでいた涙がまたこぼれた。


「だから、最後にお願いを聞いてもらえませんか? 」


先生の顔を、ようやく見た。


とても悲しそうな顔をしていた。


私に別れを告げた時と同じような、悲しくてつらそうな顔。


「下の名前を呼んでほしいです」


私のお願いに、先生が息を飲むのが分かった。


そして、優しくて穏やかで、響くような低い声で


「萩」


と呼んでくれた。


幸せだった。
名前を呼ばれるだけで、とても幸せな気持ちになった。


こんな気持ちにさせてくれるのは、芦屋先生しかいない。


「先生、ありがとうございました」


私は頭を下げて、足元に落ちていた自分のカバンを拾うと静かに美術室を出た。