西暦二0××年。二十世紀末に発足した民政党は第一党となり、創世党と改称、衆参同時選挙の末、創世党党首磨生(ませい)麗(れい)治(じ)は単独政権を確立していた。日本は創世党、それに二十世紀後半の政界をリードしてきた民自党による、二大政党時代を迎えていたのである。
磨生麗冶は首相就任時四十九歳、幹事長の久坂経介は、四十八歳だった。国民は近衛文麿以来の、四十代の首相誕生に沸いた。磨生は日本革新を高唱(こうしょう)し、犯罪の根絶(こんぜつ)、米軍基地の撤去、共産主義者(磨生は彼等を、独裁主義者と呼んだ)、無政府主義者の国外追放等々の諸政策断行に乗り出している。
この夏の国会に提出された犯罪撲滅法とは、
「実刑判決を三回以上受けた者は、死刑に処す」
というものであった。犯罪は益々凶悪化し、件数は毎年倍増するばかりだった。磨生は、
「犯罪のない社会の創出」
を公約の前面に掲げて政権を得た。磨生内閣が発足してから、それまでバラバラだった警察行政が、公安省に一本化され、友安達刑事の給料は倍となって、警官の大幅な増員と、公安行政の改編が進んでいる。
共産主義者、無政府主義者、言論弾圧者を専門的に取り締まる公安官なる職員も、犯罪撲滅法と共に今夏の議会で認承(にんしょう)された公安法によって出現している。
言論弾圧者とは、差別をスローガンに掲げ、世人の言論を排斥(はいせき)している者達を指していた。多くのマスメディア関係者、自称文化人、差別糾弾団体構成員、共産党員等が、立て続けに捕縛されていった。
一九九一年のソ連消滅以降、地上の共産主義政権は続々と倒壊(とうかい)していった。けれども、共産主義者、無政府主義者達はそれでも怯(ひる)まず、テロリズムによって、民主化への抵抗を継続していた。
本邦でも公安法の施行(しこう)によって、共産主義者、無政府主義者、言論弾圧者の活動は地下に入り、悪あがきともいえる暴力へと走っていく破目になっている。これらのテロリストを後援しているのが、共産主義国家だった。
磨生麗冶は首相就任時四十九歳、幹事長の久坂経介は、四十八歳だった。国民は近衛文麿以来の、四十代の首相誕生に沸いた。磨生は日本革新を高唱(こうしょう)し、犯罪の根絶(こんぜつ)、米軍基地の撤去、共産主義者(磨生は彼等を、独裁主義者と呼んだ)、無政府主義者の国外追放等々の諸政策断行に乗り出している。
この夏の国会に提出された犯罪撲滅法とは、
「実刑判決を三回以上受けた者は、死刑に処す」
というものであった。犯罪は益々凶悪化し、件数は毎年倍増するばかりだった。磨生は、
「犯罪のない社会の創出」
を公約の前面に掲げて政権を得た。磨生内閣が発足してから、それまでバラバラだった警察行政が、公安省に一本化され、友安達刑事の給料は倍となって、警官の大幅な増員と、公安行政の改編が進んでいる。
共産主義者、無政府主義者、言論弾圧者を専門的に取り締まる公安官なる職員も、犯罪撲滅法と共に今夏の議会で認承(にんしょう)された公安法によって出現している。
言論弾圧者とは、差別をスローガンに掲げ、世人の言論を排斥(はいせき)している者達を指していた。多くのマスメディア関係者、自称文化人、差別糾弾団体構成員、共産党員等が、立て続けに捕縛されていった。
一九九一年のソ連消滅以降、地上の共産主義政権は続々と倒壊(とうかい)していった。けれども、共産主義者、無政府主義者達はそれでも怯(ひる)まず、テロリズムによって、民主化への抵抗を継続していた。
本邦でも公安法の施行(しこう)によって、共産主義者、無政府主義者、言論弾圧者の活動は地下に入り、悪あがきともいえる暴力へと走っていく破目になっている。これらのテロリストを後援しているのが、共産主義国家だった。


