(何ということだ)
 久坂は惨劇(さんげき)に会遇(かいぐう)し、総身から脱力(だつりょく)していった。暗然たる面立(おもだち)で、ぴくりともせぬ笙子と泣哭(きゅうこく)している美子を視瞻(しせん)している。

 笙子は間もなく病院に搬送(はんそう)されたが、手当の甲斐なく翌七月八日午前零時四十分、息を引き取った。二十一歳であった。
 同刻限に、全も闘死している。警官七人の手入れをうけ、アパートを包囲された全は、凄絶(せいぜつ)な銃撃戦の末、射殺されたのである。
 久坂は笙子の臨終(りんじゅう)に立ち会うこともできずに、マスコミの好奇の目に晒(さら)されていた。笙子が北朝鮮のスパイ全と交際していたことを、記者達は何処(どこ)で聞き入れたのか聞知(ぶんち)していた。
 就中、
「公安大臣たる者が、自分の娘によりによって北朝鮮のスパイと付き合わせるとは、ひょっとして大臣自身もスパイの一味ではないのか?」
 とストレートにインタビューされたのには、久坂も怒り心頭に発しそうになってしまった。やっと我慢し、
「私も娘も全、彼は偽名を使って林と名乗っていたが、兎に角全が北朝鮮のスパイであったなどと、事件の直前まで知らなかった」
 と静(せい)厳(げん)な口調で応えた。
 記者達は久坂の感慟(かんどう)などお構いなしに、難(なん)詰(きつ)していく。
「全を家へ呼んだことはあるのか?」
「ある」
「その時に、何か国家機密を盗まれていないか?」
「全が家へ来たのは、一回だけだ。その時私は、全を書斎に入れなかった」
「全がこっそりと忍び込む余地がなかったとは、いえないでしょう」
 久坂は唾を飲み込むと、
「言える」
 と言い捨て、後はノーコメントで押し通し、不快この上ない記者会見をうち切ったのである。

 久坂はその足で、宰政官邸へと移動した。応接室では磨生が久坂にお悔(くや)みの言葉をかけ、
「葬式(そうしき)等忙しかろう」
 と一週間の忌弔(きちょう)休暇をとるよう進言してくれた。久坂は磨生の友誼(ゆうぎ)に感荷(かんか)するとともに、この度の不祥事(ふしょうじ)を陳(ちん)謝(しゃ)し、
「娘の喪(も)に服したい」
 と素直に磨生の勧(すす)めに従うことを言上(ごんじょう)したのである。