小さな田舎町だった。

電車は朝夕の通勤通学時間以外は、1時間に1本停まるか停まらないか。

駅前の商店街も200メートルくらいで終わってしまう。

その周囲を囲むようにして建っている住宅街を抜けると、一面の田園が広がる。

そんな小さな町に生まれ育った。

田圃に稲や麦が育っている時は、脚を滑らせて転げ落ちただけでも怒られたものだ。

泥だらけになった自分より、作物の心配をする大人達に疑問を感じたが、
それだけ作物は大切なものであり、田圃は神聖な場所だと教えられた。


その田園が、春先には一面のレンゲ畑になる。

子供達は、この時期だけ田圃と一体になって遊ぶことが出来た。

男の子は鬼ごっこをし、女の子はレンゲの花で髪飾りや首飾りを作る。

鬼ごっこに飽きると、相撲を取ったりヒーローごっこをしたり、レンゲの花をなぎ倒しながら転げまわって遊んだ。

それにも飽きると、レンゲの花を掻きむしり、隅の方で輪になって遊んでいる女の子達にプレゼントしたものだ。

もっとも、頭からレンゲの花を大量に掛けられた女の子が喜んでいたかどうかは判らないが。


レンゲ畑の真ん中で大の字になる。

春の柔らかい日差しと心地よいレンゲ草の香り。

服を汚して家に帰れば、母から雷を落とされるのは判っていたが、年中行事のようなものだった。


パートと家事に追われながら、いつも笑顔を絶やさずに見守ってくれた母。

泥んこになった服を着替えさせると、文句を言いながらも洗濯機を回した。

今日一日私がどこで何をしてきたのか、全部知ってるような横顔が嬉しそうにも見えた。

春の日差しのように温かく、飾り気のないまるでレンゲの花のような母だった。


そのせいか私の記憶は、母とレンゲ畑が結びついている。

いや、女性の幸せなそうな笑顔とレンゲ畑が結びついていると言っていい。

東京にいる今でも、明るく笑顔の絶えない女性を見ると、レンゲ畑を思い出す。

女性には、いつもレンゲ畑に降り注ぐ春の太陽のようでいて欲しい。

女性の心は、いつもレンゲ畑のようであって欲しい。

そう願うのだ。




そのレンゲ畑で途方にくれている迷い女性(びと)がいた。