「こんな時間に俺に会いに来てくれるなんて、嬉しいです」


一ノ瀬は、やはり笑顔でそう言うと、首元のネクタイを軽く締めた。


「別に会いに来た訳じゃねぇよ。今日、部活に歩来てただろ」


一ノ瀬との距離を詰める訳でもなく、扉のすぐ横の壁に凭れる安井。

そこから放たれる言葉の調子は、決して機嫌の良いものとは言えない。


「来てましたね。相変わらず可愛い人ですよね、南条さんは」


──南条歩(ナンジョウアユム)。

サッカー部の元マネージャーで、安井の彼女。

一ノ瀬に心が揺れていた時期もあったが、気持ちにしっかり区切りを付けた今、全くそんなことはないという。

そんなことがないとは言え、二人の間に漂う雰囲気は普通の男女同士とは少し違うものであった。


「お前、俺と歩のこと知ってんだろ?」

「知ってますよ、それはもう。南条さん、俺に安井先輩の話しかしませんもん」


笑い声を混じえながら、一ノ瀬は言う。

一ノ瀬の言葉に、怪訝そうだった安井の表情が一瞬和らいだが、それはすぐに戻った。


──けれど、その一瞬の変化を、一ノ瀬は見逃してはいなかった。