第77話

 雪が降るなか決意した覚悟は時を越えて、春にカタチをつくり始めていた。

 残り2割の手術費用は敏哉が昭太郎の小中高の同級生達に連絡を取りを発足した『昭太郎君を救う会』からの募金と、海外での移植手術を手助けをしている財団法人からの借金、そして友人達からの個人的な寄付金から集められ、予定金額に達した。


 静岡の大学病院に連絡を取り、海外への意志を伝えると急速に物事は進行していった。

 問題点はオーストラリアの現地コーディネーターから手術時に同意して頂く方が必要なので身内から付添人を一人つけてくださいと条件提示されたことだった。

 
 ここまで来て予想しなかった条件提示に昭太郎は戸惑ったが、母親が不安げな表情ひとつ見せずに手を挙げた。
昭太郎は50を越えた母親を英語圏に行かせることに少し躊躇ったが、他に頼める人もなく行ってもらうことにした。
付添人は母親で決定した。
問題点は全てクリアされた。

『4月23日発、成田空港→ブリスベン JALカンタス共同便』飛行機のチケットが2人分郵送で送られてきた。
医師に「1年間は自立生活ができると思われますが、その後は自立できなくなる可能性があります・・・」と言われてから約半年後のことだった・・・。

昭太郎はそのチケットを掴み、斜め上にかざした。

「俺が生き残るためのチケットだ・・・」
 そう呟いた昭太郎は少し感傷的、いやロマンチストになっていた。





山王医大での入院仲間、長沼の開業した美容室。

長沼はVIP待遇で昭太郎を迎え、貸し切りで髪を切った。

鏡越しに「昭太郎、俺は夢を叶えた。お前も頑張れよ」そう言って笑っていた・・・。