第72話

 それから、手術を受けられなくなった昭太郎にどう言っていいのか困っていた身近な友は病院から離れていった。

しかし、お見舞いに来る人々は妙に増え始めた。

 多分、移植が必要だということや重い病気だということが知れ渡ったのだろう。

懐かしいというレベルでなく、面影があるという感じの小学校の同級生までもが見舞いに現れる様になった頃から昭太郎は「俺は死ぬのか・・・」というリアルに押しつぶされそうになっていった。

 唯一の死なない方法である海外での脳死肝移植のことは何度も考えたが、病気が止まっただけの体力で3000万を返すことはできないと考えては諦めたし、その借金を抱えてまで生きていく自信がなかった。

また、この症状が続く中での海外での生活もリアルにイメージできなかった。


「1年以内に手術をしないと自立生活ができなくなる可能性があります・・・」
 医師の言葉は何度も繰り返し思い出された。

その度にあと何ヶ月と指折り数えていた。


 そんな頃、あるCMを見た。

笑顔の芸能人が手をさしのべる。『海外の子供達を救おう!』

「なんじゃそりゃ、日本人を救えよ・・・ってゆうか、俺を救えよ」
 思わず呟いていた昭太郎・・・。



 【あの頃の僕は医療難民だった。
唯一の治療法が移植だと宣告されているのに国内で移植手術が受けることが難しくて、海外での移植には保険がきかないということに疑問を感じていた。
日本に生きて健康保険を払い続けてきたのに病気の種類によっては保険が下りない。
日本から見放された気がしていた・・・。
 そして、そんな日本は日本人でなく海外の人々を救う活動に大量の寄付をしている。
同じ日本人が医療費のために生きるのを諦めている手術があるというのに・・・。】