音のない世界に二人取り残されて。

ベッドのそばまで、駿河くんが近づいてきた。
私はベッドに座りこんだまま動けなくて、駿河くんの顔も見上げることができない。

「その格好は、どういうこと?」

ハッとした。はだけたブラウスから下着がのぞいてる。慌ててボタンを留めようとするけど、手が震えてうまくいかない。
こんなところ見られたくない。怒られたくない。嫌われるのが、恐くてしかたない。
結局ボタンは一つも留まってくれなくて、前を合わせて隠すしかできなかった。

「どういうことも何も、答えは決まってるか」

降ってきたのは、あきれ返ったような声。

「どれだけ我慢してきたと思ってる。大人になるまで待とうって大事に大事にしてきたのに、ようやく手に入りそうなところまできて、このザマか」

だんだん熱がこもってくる、それは私に向けられたものというより独り言みたい。

「あんなガキに横取りされて、こんなことになるなら、いっそ――」

何を、言ってるの?
そこにいるのが誰なのかわからなくなってくる。不安になって顔を上げると、伸ばされた手が目の前まで迫ってた。
ずっと私を甘やかしてくれてたこの手は今、私に何をしようとしてるんだろう。
手のひらの向こうにある暗い瞳を見つめると、時が止まったみたいに、それは動かなくなった。みるみる表情がゆがんでく。

「駿河くん……?」

心配になって、たまらず呼びかけると、駿河くんはその場に膝をついてうなだれてしまった。

「……どうして。ほかの男のものになるなんて耐えられない」

薄いピンク色のカーペットに、いくつもしずくが落ちてシミができてく。ちゃんとここにある現実なのに、信じられない。

駿河くん、泣いてるの?

「物分かりのいい大人のふりなんてするんじゃなかった。ずっとあいちゃんのために生きてきたのに。こんなに思ってるのに、どうして離れて行こうとするの。駄目だ。こんなの全然かっこよくない。嫌だ。あいちゃんに幻滅されるのが恐い。でもあいちゃんを誰かにとられるのは、もっと恐い」

私の前で、駿河くんはいつも優しくてかっこよかった。そんな駿河くんしか知らなかった。でも、可哀想なほど震えながらうずくまってる、これもほんとの駿河くんの姿なのかな。


「お願いだから、嫌いにならないで。俺を受け入れて。お願い……

あいちゃんのことが、好きなんだ」


数えきれないほど夢みては、いくつものロマンチックな場面を空想日記に書き記してきた。そのどれにも似てない、消え入りそうな告白。
現実は、こんなにも弱々しくて、でも、こんなにも。


「私も駿河くんが好き。ずっと昔から好きだよ」


いとしい。そばにいたい。
ベッドから降りて、うつむいたままの頭を包みこむようにぎゅっと抱きしめると、お腹の辺りで駿河くんのくぐもった声がした。

「ほ、ほんとに?」

「ほんとに」

「嘘じゃ、ない?」

「信じて」

髪の毛に頬ずりすると、駿河くんは声をあげて泣き出した。私の腰にぎゅうぎゅうと抱きついて、ちっちゃな子どもみたい。
どうしてかな。かっこいい駿河くんはいなくなってしまったのに、これまで生きてきた中で、今が一番、駿河くんのことを近くに感じる。

『割れ鍋に綴じ蓋』――マリアさんの言葉を思い出した。
ずっと同じ気持ちを抱えながら、それを隠して悩みつづけてた、似たもの同志。私たち、きっとぴったりだ。
これが、ほんとに人を愛する、ってことなのかなって。
そう、思った。