そのせいか、不思議と恐怖は薄れていた。
それを見て彼が腕を掴んでいた力を緩める。

「お前、どうしてこんな所まで来たんだ。帰れるのか?」

辺りを見渡すと、もうすっかり日は暮れていた。
足下がおぼつかない。

再び湧き上がってくる別の恐怖を、首を横に大きく振って振り払う。

それを彼は、さっきの質問に対する否定ととったらしい。
軽くため息をついて、


「仕方ないな…。ついてこい」

そう言って手招きし、慣れた足取りで山を下りていく。
私は慌てて闇の中でも目立つ赤色の頭についていった。

歩きながら彼は背を向けたまま独り言のようにつぶやいた。

「それにしても珍しいな。人がここまで来たのは初めてだ」


《初めて》という言葉がこれほど悲しく聞こえたことも、初めてだった。


「だって…気になったの」

毎日聞こえてくる笛の音。

「いつも笛を吹いているのは誰なのか、知りたくて」

だから今日、勇気を振り絞ってここまで来た。