以心伝心! 志氣高校 洋将棋部

「いや、なんでもない」
 僕は笑った。
 
 つまり僕は、“プリンのような死”を選ぶ前に、まるで娯楽映画を観るように『子供達の営み』を傍観すればいいというわけだ。


 別に、死に急いでいるわけでもない。
 “世界が善と決め込んでいる『青春』”とやらが、本当に僕やマッコウクジラの営みより優れたものなのか、見せてもらおうではないか。


 それを一瞥するぐらいいの時間はある。
 別に僕は、死に急いでいるわけではないのだ。

 僕は別に死にたいわけではないのだ。

 だってそうだろう。
 積極的に死のうってヤツは、ある意味では必死に生きているとも言える。


 僕の(彼女の)病は、生の一部であるはずの死が乖離して独立し、
 生と死が同義になりつつある事だった。
 
 そこでは積極的な死を選ぶ必要もなければ、積極的な生を選ぶ必要もない。

 『コンビニのそこそこ気に入っていたプリン』のように、生きていてもいいし死んでしまっても構わない、そんなボンヤリとして日々を過ごしていくだけだ。