「ただいま。」
「お帰り。」
たった、一言。
母の透き通るような声。
優しく、包み込むような声。
その声が、俺に向けられていることの喜び。
俺は家に帰ることが楽しみだった。
母はクッキーやホットケーキを焼いて待っていてくれた。
食べるときは、いつも親父の話。
「そんな奴の話、しなくていいよ。」
「そんなこと言わないで?
それでも俊のお父さんなのよ?
お母さんの旦那様なの。」
母は、悲しげにそう言った。
「俊…あなたの名前、お父さんがつけたのよ。
私はもっと可愛い名前のほうが良かったけど…
男は一文字で格好良くって…
譲ってくれなくてね?」
このときだけ、母がフッと柔らかく微笑む。
でも、
「今では俊って言う名前、大好きなの。
たとえ俊にとって“そんな奴”だとしても。」
母はまた悲しげに言う。
…母を苦しめているのは親父じゃない…
俺自身なのかもしれない。
幼いながら、そんなことを思ったのを覚えている。
小6の、暑い夏の日だった。
今でもはっきりと覚えている…
この日も俺は、いつも通り家に帰った……
いつも、通りに…
なるはずだった。

