しかし、それでも疑わずにはいられなかった。

寛容と大きな慈悲の精神を兼ね備え、道徳を学び続ける先生であっても、自分を理不尽に拘束し続ける者を恨まずにいられるものなのでしょうか。

そうした一掬いの疑問が、私の未熟な精神に染み渡り、愚かしい罪の意識を反芻し、苦悩を毎夜抱いて眠る日々が続きました。

先生はよくおっしゃっていましたね。

「匙の一掬いでも邪な心がある限り、人は心理には届かない。だから人は、学び続けるのだ。」

先生の有り難いお言葉を言い逃れに使う気は毛頭ございませんが、私の一抹の不安、恐れ抱いた予感は全てその言葉に集約されております。

これもまた人の業なのでしょうか。

兎にも角にも、私の過去と、それに附随する罪の意識を今の今まで直隠し、ようやくになって暴露する私の愚かさをどうかお許しください。