「これは失礼致しました。私、小金井義郎と申しまして、一応の肩書きは書生とでも言いましょうか。以前、山口先生にはお世話になったことがございまして。」

「最近、ここいらに越して来たものですから、暑中見舞いも兼ねて、山口先生の御自宅にご挨拶にお伺いしたのですが…」

「幾度かお伺いしたのですが、いずれも留守でございまして。私の記憶では、先生はこちらに籍を置いていたものでしたので、こうしてお伺いに来たのです。」

いざ、嘘を突き通すと決めると、私の口は澱みなく、やや早口になりながらも、言葉を次から次へと発しておりました。緊張感はまだございましたが、自然と背中の汗は、私が口を開く度に引いていくのがわかりました。

「そうですか。それはご苦労なことで。せっかく足を運んでもらって申し訳ないんだが、あいにく、ここに先生はいないよ。すっかりとご退任なさって、消息も私ではわかりませんなぁ。つい数ヶ月前までは、ここでも顔をよく見たものだが、それもトンと無くなったね。」

口調のやや雑な事務員も、すっかり納得した様子でした。