1995年9月

2回目の大会があった。

1回目に比べて、緊張もしなかったし、競技場独特の、ゴムの臭いにも少し慣れ。
春己は、1500メートル5分30秒で14位と言う 自己ベストを更新した。

ユウは砲丸でベスト8に入り、10月の大阪大会にも出場した。
藤沢も、女子800メートルで、3分45秒で、18位と、自己ベストを更新した。

2回目の大会は3人にとっては、成果が現れて、良い大会になった。

だが、肝心な部員が入らない。

ポスターを書いたり
クラスの連中や
友達にも頼んでいるが、断られる一方だ。

その為11月の駅伝も辞退せざるを得なかった。

12月からの、オフ
シーズンにも、やはり、入る見込みは無い。

1996年

新しい年が開けた。
しかし、東中陸上部は依然として、
春己
ユウ
藤沢
の3人だけだ。

そして
学年末テストが終了し、

遂に新学期が
始まった。