「環ちゃん、貴方は掛け軸で良かったわよね」

師匠の奥さんに冷たく言われて、私はゆっくりと頷いた。

どうやら師匠も奥さんも私のことをあまり良く思っていないのは知っている。落ちこぼれているのだって知っているさ。



「……はい、頑張ります」



狭い、先の見えない道を歩くしか無いのだ。目の前に広がっているのは何時だって"薄気味悪い未知"だけだ。

私が今回書くのは「臥龍」——掛け軸じゃ迫力に欠ける。



(……額を出せられるお金なんて無いし)

一度で良いから額で出品したいけれど、今ウチにはそんなお金なんてない。それに掛け軸だけでもいっぱいいっぱいなのだ。


ふと、はー君の方を見れば……大きい紙を携えて構図を考えていた。はー君レベルにでもなれば…師匠の手本なんかいらないし、雅号だってもらえるんだ。



因みにはー君の雅号は「珠翠(しゅすい)」。はー君に意味を来てみたら「秘密だよ」って軽くはぐらかされてしまった。


「……凄い、な」



ぽつりと紡がれてしまった言葉は誰にも拾われるわけでもなく、墨と一緒に溶けてしまったかもしれない。

——腰を屈めて、大きな筆を構えるはー君からは並々ならぬモノが流れ出し。時の流れを感じさせない。


凛と、張りつめた空気だけがあるだけ。




微妙な加減に調節された墨の色。黒ともネズミ色ともつかないような微妙な濃淡——筆の掠れ具合、男の人特有の力強い筆圧。



(——私は夢さえも掴めないまま、)



はー君を見ていると、私はいつも……いつも切なさしか出て来ないよ。もしも世界が変わるのなら私を思い出の中に置き去りにして欲しい。


ゆらめく、輝いた"過去"だけが黄金時代なんだ。