ノックの音に顔をしかめ、葛城沙弓(かつらぎ さゆみ)は手にしていた書類から視線を上げた。

 肩まで伸びた黒髪を耳にかけ、縁なし眼鏡を掛け直した彼女は、壁にかかった時計の針を確かめるために目を細める。


──また眼鏡を新調しなきゃあ。

 溜め息をつきながらブレた視界のピントを無理矢理合わせると、時計は午後3時を指していた。

 この時間に来客の予定があったかと考えたのは一瞬で、ないという結論に達した彼女は、ノックの音などしなかったかのように、特に今見る必要のない書類にさも大切な書類であるかのような目線を落とす。

 彼女にはこのノックの主が漠然とわかっていたからだ。

──どうせ大した用じゃないわ。このまま諦めてくれないかしら……


 それを見透かしたかのように、再び軽く三回。

 葛城は抵抗するかのように書類に没頭しているフリをした。

 もっとも、そんな彼女の行動は誰も見ていないのだけれど。