母にとっても、こんな大きな病気をしたのは初めてだったので、回復時もそう簡単に会話がスムーズにできた訳ではありませんでした。
手術の傷跡はとても大きく、痛々しかったのが目に焼き付いています。

母も、頭は痛かったようです。

当時、母が倒れた時は、職場仲間の知り合いとファミリーレストランでお茶をしていたらしく、外出時に知り合いの前で、突然嘔吐をし、意識を失ったそうです。お知り合いの方が急いで、救急車を呼んでくれたらしく、その方のお陰もあり今の母がいます。

感謝しないといけないとおもいました。

そして、時間がどんどん経ち、母もいよいよ集中治療室から出られるようになり。
個室へと移動になったのです。

しかし、たった一人で個室にずっといるのも淋しかったようです。

私が面会に行く日を続けて、まだまだ顔はむくんでいて、少ししか会話が出来ないですが、私達家族にとっても、母がこうやって生きていてくれることがとても嬉しかったのです。

母も面会時は、少しずつ笑顔が増えていたのです。

神様有り難う。

命を守ってくれて。

それとも、お母さんが生きようとしたから。

先生や看護師さん達にも感謝の思いで一杯でした。