私は誰なのだろう。
名前も決まらず。
さまよい続けている。

私には形がなかった。
見る事もできなければ、聞く事もできない。


いや、違うな。
正確に言えば、見るとか聞くとかの五感は生物に与えられたもの。
人の言葉をかりれば、むしろ私は第六感の者と言える。

遥か昔からこの世界にいる私。
私はもうこの世界なのかもしれない。

そう。人は私にいろんな名前をつけた。
「神」とか「仏」とか。

不思議な気分だ。
自身でさえわからない名前をなぜ人は私につける。

姿なき私に存在など有り得ないと言うのに。

名前をつける事で、私を近い存在と位置づけ、自分達のすがるべき何かにしたいのであろうか。


だが、私にすがれば、すがるほど人は私から遠ざかっていく。

なぜなら、人間は自身の中にこそ真実を見つけるべきから。

私が人を超越した者である事は認めよう。

だが、人はそれぞれの内に自分の可能性を超越した何かを持っている。

人は私の分身。
私も人の分身。

人は私になれるし、私は人にもなれる。

だから、私を見ようとするのではなく、自分の心を見つめろ。

自分だけの答えが。
私にもわからない真実がそこにはあるはずだから。


私を想ってくれる事は嬉しい。
私に涙を流すことができれば、そうしたいほどに。
でも私を全てだと思ってはいけない。

私自身、変化を続けている未完成なものなのだから。