預かった鍋を火に掛けクツクツと音が出る程になると、おでんとはまた違った出汁の香りが店の中に広がった。

 お客たちもその香りに鼻を動かし始めた。


 「今日はテツさんからの差し入れシシ鍋だよ。みんなに一杯ずつご馳走するからね」

 「おぅ、此処でシシ鍋が食えるなんて思わなかったな」

 「ありがてぇな」


 めったにありつけない裏メニューに皆は大喜び。

 折角なので、藍子も一杯ご馳走になった。


 「藍子さん、頼みついでにお願いがあるんだが……」

 「改まってなんだい? アタイに出来ることならなんなりといってご覧」

 「実は、今日連れて来た瑠璃(るり)に此処の弟子にしてもらえないかなと思ってな」


 自分が守ってきたこの暖簾を見ず知らずの、しかも関わりを持ちたくないと思ったこの女に暖簾を継がせるなんて冗談ではない。


 「それ、いい考えですね。そしたら藍子さんに自由な時間が出来ますね」


 藍子の心の内の考えを知ってか知らずか、笹部もそれに賛同する。


 「あたしぃ、結構料理は得意なんですぅ。ここでもっと修行したいんですぅ」


 テツとどういう関係なのか、それとも笹部と関係を持っているのかは謎だが、こんなチャラチャラした女を何故弟子にしなくてはならないのか。

 藍子は暫くの間、それには答えず他の客の注文を取るのに忙しくしていた。