「なんかぁ、酔っ払ったみたぁい。直人ぉ送ってぇ」

 「瑠璃さん、しっかりして下さいよ。タクシー呼んであげますから」

 「嫌ぁだぁ、直人ぉ一緒に帰ろうよぉ」


 直人、つまり笹部の事である。

 少し困った顔をし藍子のほうに視線を泳がせるが、今は女将の顔にしかなっていない。


 「笹部、家も近いんだろ?」

 「あら、それなら笹部さん、送って行ってあげな」

 「すみません、また来ますね」


 今日はとんだお邪魔が二人もいたおかげで、いつものような会話を楽しむ事が出来ずがっかりしている笹部。

 それは、女将である藍子も同じ事。

 けど、藍子は他の客にももてなしをしているから、それほど淋しいという想いはない。

 密会というわけにはいかないが、いつでもカウンターを隔てて話が出来る。

 お互いに軽くそう思っていたが、笹部が暖簾を潜る事は暫く無かった。

 決算も近いと言っていたから残業でもしているのだろう。

 それほど気にも留めていなかった。

 

 ― 一ヶ月後

 空がすみれ色に変わろうとしている時刻に決まって暖簾を外に出す。

 毎日この作業から始まる。

 そして、この暖簾が掛かるのを待っていたかのように一つの足音が近づいて来た。

 足音の主は珍しくも瑠璃一人であった。

 この時、悪寒を感じた。

 これから何かが起こる。

 そんな予感を胸に抱いて彼女を店の中に招いた。