アリスズ


 エンチェルクは、目を飛び出させんばかりに驚いた。

 アルテンが、ウメに口付けていたからだ。

 さっきまで、そんな素振りも見せなかったというのに。

 アルテンは、キクとの旅で大きく変わった。

 それを、エンチェルクは身を持って知ったし、感動さえ覚えたのだ。

 だから。

 だから、こんな無体な真似は、もうしないと思っていた。

 彼が、ウメのことを好きだとしても、その思いは行き止まりになるしかないのに。

 そのまま、心の中にずっとしまわれて終わるとばかり、思っていたのだ。

 エンチェルクの主人も、少し驚いたように目を見開いた後、すっと唇と瞳をそらした。

「ふふ…」

 だが、おかしそうに笑い出す。

 歌を聞いていたキクが、振り返った。

 何か起きた気配だけは、察したのだろう。

「『どちらも』起きた後に口づけるのね…『眠り姫』とは逆だわ」

 エンチェルクは、一部意味の分からない言葉に、ぽかんとしてしまった。

 ウメは、その前の白髪の男の所業と、アルテンの行為をいっしょくたにまとめて笑い飛ばしたのだ。

 大物だとは思っていたが、ここまでとは。

「アルテンリュミッテリオ…私ね、この心臓が止まるまでに、やりたいことが山ほどあるの」

 ふつふつと。

 ウメの言葉が、温度を上げる。

「でも…きっと、私の命が終わるまででは、到底間に合わないわ…たとえ長生き出来たとしても」

 エンチェルクの目には、ウメの何かが変わったように思えた。

 死にかけたことで、またひとつ、線をまたぎ越えたような。

「だから…」

 ウメの細い指先が、寝台に乗り上げているアルテンの胸元の衣装を掴んで、自分の方へと引き寄せる。

「アルテンリュミッテリオ…私に子供を授けて欲しいの」

 え?

 時間が──止まった気がした。

 幸福の歌が、風と共に流れる中。

 キクが大笑いを始めるまで、エンチェルクはまったく動けなかったのだった。