アリスズ


「大丈夫ですか?」

 エンチェルクが、冷たい水に布をひたして来てくれる。

 それを受け取りながら、梅は木陰で力ないため息をつくのだ。

「ええ…平気よ」

 山本梅は、生まれて初めて旅に出た。

 旅と言っても、自分の足で歩く旅ではない。

 荷馬車に揺られるだけの、ぬるいものだ。

 しかし、それさえも彼女にとっては、大変なものだった。

 テイタッドレック卿の領土に行った時のことを思い出せば、それがどれほど無茶なものか自分でも分かっている。

 けれども、行くと決めたのだ。

 一通の書状が、イエンタラスー夫人の元へと届けられた。

 それは、イデアメリトスの若君からのもので。

 梅を、都へ招きたいというものだった。

 夫人は、反対はしなかった。

 ただ、彼女の身体の心配をしてくれただけ。

 ああ。

 梅の唯一の後ろ髪は、イエンタラスー夫人だった。

 彼女は、これからまた一人になるのだ。

 楽しく安全な時を、これまで数多く夫人からもらった。

 その恩は、梅は一生忘れないし、国の手伝いをするという別の形で返そうと考えていた。

 そして──出発の準備をしている中、夫人から荷物が部屋に届けられる。

 ひとつは、手紙。

 手紙には、都で困った時に訪ねるようにと、イエンタラスー夫人の知り合いへの紹介状が添えられていた。

 もうひとつは。

 梅が、この世界に初めて来た時に、着ていた着物だった。

 夫人は、これをとても気に入っていたというのに。

 梅は。

 その着物に着替えた。

 襟、袷、袂、裾。

 全てを整え、美しい直線を描く。

 三つ指をつき、深い御礼とお別れの挨拶をするのに、これほど相応しい衣装はないと思ったのだ。