アリスズ


 暗雲は。

 菊だった。

 景子が、ロジューの噂で菊らしい人が出てくることを、アディマに言ってしまったのだ。

 それが、悪いことだとは思いもせずに。

 だが。

「彼女が、歌の男と一緒に?」

 彼の表情は、一瞬で曇ったのだ。

「違うかもしれないんだけど…」

 景子の唇も、我知らず重くなる。

 既にもう、心の中では『違うといいな』まで進化し始めていた。

 アディマの表情は、それくらい重いものだったのだ。

「彼女のことだから、どんな不思議な人とでも、気楽に旅をしているんだろうね」

 不思議な人。

 その部分に、奇妙なアクセントを感じた。

 そこに、地雷が埋まっている──そんな気配。

 せっかく、アディマと楽しい時間を過ごすはずだったのに、どうにもうまくいかない。

 彼が、何かを喉に詰まらせたまま、飲み込めずにいるからだ。

 景子とどんな明るい話をしていても、その喉の異物感がアディマを憂鬱にさせるのだろう。

「わ、私に話せることなら話して。出来るだけ力になるから」

 政治のことは、景子には分からない。

 けれども、菊のことなら少しは分かるのだ。

 アディマは、ソファに背を預けるように沈み込むと、上を見上げた。

「魔法を、イデアメリトスのものだけにしておくのが、本当はとても難しいことなんだと思ってね」

 上を見上げたまま、瞳が景子の方へと動かされた。

 どきっと、した。

 彼女自身も、魔法に似たような奇妙な力があるからだ。

 アディマは、それを知っている。

 彼は、景子の魔法を知った時に喜んだ。

 しかし、そんな単純な話ではないのだと、瞳が彼女に教えてくれた。

 魔法の君主の統べるこの国は、他に魔法を使う者がいてはならないのだろうか。

 そうだというのならば。

 景子もまた、危険な因子ということになるのだ。