アリスズ


 やばい。

 景子は、初めてその事実に気づいた。

 男に案内された部屋は、数人の男がいた。

 いや、男はいい。

 そんなことよりも、大量の書類や本が、部屋の中にはあったのだ。

 やばいと思ってもしょうがない。

 何しろ。

 景子は。

 字が書けないのだ。

 当然──読めもしない。

 自分の名前ひとつ、この国の文字に表せないのである。

 ガーン。

 その衝撃たるや、自分でも驚くほどだった。

 そんな人間が、どうやって役所で働けるというのか。

 もっと早く、気づいておくべきだった。

「ケイコ・ヨシイ・ハナヤ…で、間違いないか?」

 青ざめた男に問われて、こくこくと頷く。

 書類を作るということで、正式な名前をリサーに聞かれた。

 ケイコ・ヨシイだけでは、この国では名前が成立しないと言われ、しょうがなく後ろに花屋とつけたのだ。

 それでも、この国の人間の半分以下の名前の長さらしいが。

「外回りに出せと言われている…内畑と外畑と農林府の畑の見回りでも行ってもらおう」

 しかし、景子の特性は先に届いているのか、内勤を申し付けられることはなかった。

 本当によかった。

「はい、畑の場所はどこですか?」

 笑顔で問い返すと、男はますますしかめっつらに磨きがかかる。

「…ネイディランフルル君…ひととおり、畑の場所を案内してやってくれないか」

 そして、奥にいる若い男に声をかけるのだ。

「はい…わかりました…」

 下っ端扱いされているようで、しぶしぶ了解して席から立ち上がった。

「でも、全畑の場所を説明してたら…一日終わりますよ」

 自分の机に積み上げられた書類を、彼はうんざりしたように見つめる。

「それが、どうかしたかね?」

 そんなことは、青い顔の男には関係ないことのようだった。