アリスズ


「もしや、テイタッドレック卿のご子息ではありませんか?」

 翌朝。

 改めてアルテンを見て、行商人の男がそう問いかけてきた。

 既に、頭にはしっかりと布を縛り付けている。

 一瞬、アルテンは菊を見た。

 言っていいかどうか、許可を取っている気がして、苦笑してしまう。

 そんな質問に、いちいち許可を取らなくていいと。

「ああ…捧櫛の神殿へ旅をしている」

 抑えた声。

 菊は、その声をよく聞くために目を閉じた。

 声に、心は混ざる。

 荒れてはいないか。

 くさってはいないか。

 心を作るのは、とてもとても時間がかかるものだ。

「二十歳には…なられていましたよね?」

 行商人の男の声も、耳に入る。

 高い身分の者と話しているので、丁寧な言葉を使っているが、言葉のひとつひとつは探る響きを持っている。

 腑に落ちない、という気配だ。

「ああ…」

 そこで。

 気配が、動いた。

 行商人が質問をやめ、菊を見ている気がする。

 目を開けて、彼をまっすぐに見つめ返す。

「あなたは…何者ですか?」

 視線は、菊の目と──定兼へ。

「菊」

 答える言葉など、彼女にはそれしかない。

 自分にとって、一番美しいと思う音。

「イエンタラスー夫人に、縁のある方です」

 アルテンが、補足を入れた。

 しばらく、行商人は天を見上げて考え込む。

「ああ…あの風変わりな女性…」

 記憶が合致したのか、その唇が小さく誰かのことを綴った。

 菊は、笑った。

 梅のことだ。