アリスズ


 あああああ。

 今日は、もう旅立たなければならないというのに、景子の足は鉛のようだった。

 さくさく旅支度を整える菊の横で、ナメクジのように彼女はのろのろとした動きしかできないのだ。

 菊に、彼女の年齢的な不安は、よく分からないのだろう。

 景子は、10代の自分を覚えている。

 しかし、菊は30代の自分をまだ知らないのだ。

 当人の実感としてのこの年は、かなりヘビーなのに。

 そんな風に、ぐずぐずとしていたら、ノッカーが鳴る。

 びくっとしたが、扉を開けたのはシャンデルだった。

「まだ、準備が終わっていないの?」

 そして、景子のナメクジっぷりに鋭い一言。

「あっ、す、すぐ終わります!」

 わたわたと。

 彼女は、荷物を布にしまった。

「………」

 そんな景子を、シャンデルは黙って見ている。

 彼女の様子は、いつもと変わりはない。

 昨日のアディマの爆弾発言を、リサーは誰にも言わなかったようだ。

 い、言えるワケないよね。

 冷や汗を流しながら部屋を出た景子は、そしてそのリサーと、次に出くわしたのである。

 げっそりと。

 一晩で、どうしたらそこまでやつれることが出来るのか。

 リサーは、すっかり頬がこけていた。

 だが、その目が景子を視認するや、敵意に似た光を放つではないか。

 ひぃっと飛びのいた景子は、後ろにいた菊に思い切りぶつかる羽目となる。

「やぁ、リサー…おはよう。いい朝だな」

 そんな彼女を支えながら、菊が信じられないほどさわやかな声で挨拶を投げる。

 この国の言葉で、これほど長い挨拶を彼に向けたことなど、これまで一度もないというのに。

 更に、笑顔さえ浮かべているのだ。

 分かっていて、わざと言っているのだけは間違いなかった。

 忠実なる従者のこめかみが、ぴくぴくと痙攣するのが見える。

 あ、あああああああ。

 青ざめながら、景子は右往左往するしか出来なかった。