アリスズ


 ノッカーが鳴って、菊は目を開けた。

 床に座り、呼吸を整えていたので、立ち上がりながら「どうぞ」と客を招き入れる。

 客は、御曹司だった。

 その横では、景子が彼に支えられ、ぐったりしていた。

「景子さん?」

 菊は、足早に彼女に近づく。

「き…菊さん…」

 全身真っ赤で、目まで潤んでいるし、呼吸も速い。

 風邪か、原因不明の発熱でも起きたのかと、御曹司から彼女を受け取ろうとした。

 それを、彼は大丈夫と制する。

 そのまま、景子を支えてベッドまで連れて行って下さるのだ。

 大丈夫なのか?

 心配している様子のない彼に、菊は首を傾げた。

 景子びいきの御曹司だ。

 彼女の具合が悪いなら、誰よりも心配してもおかしくないはずなのに。

「ア…アディマ…あの…」

 ベッドに座らされながら、景子が彼に何かを言おうと顔を上げた。

 それを、ゆっくりと制す手。

 人の心を、あの手は知っている。

 どんな言葉よりも、雄弁な御曹司の手のひら。

 言わなくていいよ。

 リサーを制する時とは違う、優しい動きだ。

 菊が見ていて、恥ずかしくなるほどのまなざしを景子に向けている。

 少なくとも、この二人の間にいる自分が、限りなく野暮に感じたのだ。

 あー…そういうことですか。

 景子のあの症状は、風邪をひいたわけではない、と。

 いまの二人の雰囲気が、それを十分自分に教えてくれるのだ。

 風情のある言い方をするならば。

 草津の湯でも治せないアレ、なのだろう。

「失礼するよ…おやすみ」

 菊にも分かる程度の言葉で、御曹司は彼女に一言投げる。

 そんな男に、彼女は苦笑混じりの視線しか返せなかった。