アリスズ


 菊は、酒瓶と杯を手に、廊下を歩いていた。

 杯は、この屋敷で借りたもの。

 酒は──髪結いの礼と言って、町の娘にもらったものだ。

 酒屋の娘であった彼女とその母に、編み方を伝授してきた。

 これ以上、ブリ照りの修業は必要ないと思った菊は、人に教えることによって、修業を回避しようと思ったのだ。

 こういう美しさに関する技を、女性は覚えるのが早い。

 すぐに、母親は編み方をマスターし、娘も編めるようになったようだ。

 そのお礼が、この酒だったのだ。

 菊は、ダイを探していた。

 景子が聞いた話によれば、ここにいる間、彼は御曹司の部屋の前で番をしなくていいらしい。

 梅を置いてもらった領主の屋敷で番をしていたのは、ほんの直前に襲われたための用心だったのだろう。

 旅の間は、決して酒を飲まないダイだが、今日くらいは息抜きをしてもいいと思ったのだ。

「コホン…」

 そんな彼女の耳に、高い咳払いが聞こえる。

 振り返ると、廊下には使用人を従えた孫娘がいた。

 ああ、通るのか。

 菊は、すっと廊下の脇に寄って止まる。

 しかし。

 孫娘は、廊下を通り過ぎるではなく──菊の前で足を止めたのだ。

「───」

 高く早口で、何かを彼女に告げる。

 とりあえず、上から目線の言葉なのだけは分かった。

 さっきの笛の音でも、褒めて下さっているのだろうか。

 菊は、首を傾げて見せる。

 あなたの早口は、私にはわかりませんよ。

 そういう意図を込めたのだが、孫娘は癇癪を起したように顔を真っ赤にして、更に早口になるのだ。

 参ったなあ。

 ただ、孫娘の騒々しさは幸いにも、とある扉を開ける手伝いをしてくれた。

 奥の扉が開き、ダイがちらりと顔を覗かせたのだ。

 何事かと。

 ああ、そこか。

 菊は、軽くダイに酒瓶を掲げる。

 だがそれは──孫娘の癇癪を、更にひどくさせてしまったのだった。