アリスズ


「あの…馬鹿」

 山本菊は、口の中でそう呟いていた。

 自分の双子の相方が、ついさっき大声を上げたのだ。

 おそらく、今頃ぶっ倒れている事だろう。

 しかし、いまはとりあえず前に進む。

 彼女は一人ではなく、行きずりの花屋の女性が一緒なのだ。

 それに、梅も自分がどうなるか分かっていて叫んだのである。

 覚悟が出来ているなら、いい。

 菊は、袴の紐に定兼を鞘ごと差した。

 山本家の家宝だ。

 一度だけ、抜いたことはある。

 だが、それを本当に使ったことはない。

 ここが。

 ここが、本当は黄泉路ではないことくらい、菊は気づいていた。

 しかし、理論だてて説明すべき言葉はないのだ。

 それならば、あえて黄泉路ということにしておくというのならば、菊はこの定兼を抜くことが出来る。

 守るため、と称して。

 怒りの気配と声が、進むごとにつぶてのように菊の頬を打つ。

 殺気の塊だ。

 さっき、梅は『前はだめ』と言った。

 どうしてそれに気づいたのかは、菊には分からない。

 しかし、梅が自分の体力の限り叫んだのだ。

 信じないわけにはいかない。

 菊は、正面から向かってくる最初の小集団を、足を止めてじっと待った。

 いい気だ。

 力強さや美しさ、そして良い意味で知らない気が混じっていたのだ。

 確かに、手を出したくない相手のようだ。

 そして、おそらく。

 その中に、手練れがいるのが分かった。

 いま逃げているのは、一人で後ろを相手に出来ないと思ったのか。

 いや。

 相手にくらい出来るだろう。

 それならば。

 すぐ側に、守らなければならないものでも、いるということか。